菓祖 田道間守ものがたり

お菓子の聖地 豊岡神話

菓祖 タジマモリ(田道間守)
「古事記」「日本書紀」に伝わるお菓子の神様。生誕地は兵庫県豊岡市とされ、中嶋神社(兵庫県豊岡市三宅)のご祭神として祀られています。『日本書紀』では「田道間守」、『古事記』では「多遅摩毛理」「多遅麻毛理」と表記されています。古代の豪族、三宅連(みやけのむらじ)の祖とされています。
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 遠いむかし(西暦六十年頃)、タジマモリは第十一代垂仁天皇(すいにんてんのう)の命をうけ、遠い海の向こう「常世(とこよ)の国」にあるという「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)を探す旅に出ました。「非時香菓」とは一年中実り、芳香を放つ果実の意味で、今の「橘(たちばな)」と言われています。
当時、日本に「非時香菓」はなく、食べると歳をとらずに長生きができると考えられていました。
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 タジマモリは幾多の困難を乗り越え、十年の歳月をかけてやっと「非時香菓」を見つけました。大喜びで非時香菓を持ち帰りましたが、その一年ほど前に天皇は亡くなっておりました。持ち帰った非時香菓の半分は皇太后に献上され、残りの半分を天皇のお墓に植えた後、タジマモリは悲しみのあまり亡くなったと伝えられています。
タジマモリが橘を持ち帰り、到着した場所
豊岡市のお隣り、京都府京丹後市網野町木津にタジマモリが橘を持ち帰ってきて到着したとされる地が残る。到着したと伝わる現在の夕日ヶ浦は、別名「常世の浜」と呼ばれる。地名の「きつ(木津)」は橘が伝来した地として、「橘」の音読み「きつ」に由来すると言われている。
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 タジマモリを祀った神社「中嶋神社(なかしまじんじゃ)」はタジマモリのふるさとである豊岡市にあります。第三十三代推古天皇(すいこてんのう)の時代(七世紀前半)に建てられたとされています。神社の名前は「タジマモリ」のお墓が垂仁天皇陵の濠の中に、島のように浮かんでいることに由来するといわれています。室町時代に建立された本殿は「二間社流造(にけんしゃながれづくり)」という珍しい様式の建物で、これは、室町時代の典型的な神社建築を伝えるものです。明治四十五年に国宝に指定され、現在は国の重要文化財となっています。
二間社流造
【にけんしゃながれづくり】
神社建築の一形式。流造は平入りで、正面入口にあたる屋根の一方(前流れ)が、長く延びた形式で、側面から見ると前後が不同になっている。本体部分を身舎(もや)、長く延びた部分を庇(ひさし)または向拝と呼ぶ。正面の柱間は規模によって異なり、一間から三間以上のものもある。
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 中嶋神社のご祭神であるタジマモリノミコトが持ち帰った「非時香菓」は現在の「橘」であると言われていますが、「橘」とはミカンの原種です。昔、果物は「果子・かし」と呼ばれており、橘は果子の最上級品とされていたことから、タジマモリはお菓子の神様(菓祖)として崇敬されています。このため、タジマモリノミコトの分霊は太宰府天満宮(福岡県)をはじめ全国各地で祀られ、豊岡市・中嶋神社は「お菓子の聖地」として全国の菓子業者の信仰を集めています。

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田道間守(タジマモリ)にまつわるエトセトラ

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